『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』に対する  高島吉人君の読後感

『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』に対する高島吉人君の読後感 2/12

この度、落合莞爾氏が発表した新著『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』は、ウクライナ有事が進行中の現在にあって、まさに時代が転換する機が熟した歴史の必然であると言えよう。
門人の一人が大杉栄の死に疑問を呈したことが呼び水になったとは言え、本書が大杉栄と甘粕正彦の関係を洞察し、非の打ち所がないほどに明快にかつ科学的に証明し得たのは、著者の歴史真実に対する長年の真摯な姿勢と胆識の為せる妙技と、改めて感じざるを得ない。
本書が言う通り、大杉栄や伊藤野枝また甘粕正彦を題材に取り上げた著作は数多くあるが、あるいは表層的なスキャンダラスな出来事に焦点を絞り過ぎ、また旧帝国軍人を貶めることに執着するあまり真実から遠ざかる有様は、われわれ日本人のこれまでの大杉観が、ことごとく文筆家の浅薄な歴史観や庶民的興味の反映に過ぎなかったことを痛感させられる。
本書は、社会全体から殺人鬼との極端な悪声を浴び、家族を犠牲にしてまでも日本の未来を養った英傑たちへの禊祓えでもあると同時に、戦後、在日米軍の傘の下で日本人の歴史観を歪めてきた者たちに再考を促すことになるのではないか。
学校教科書で、大正時代の大事件として国民の記憶に刻み込まれた「甘粕事件」の本質を明らかにした本書は、まさにその逆を教えてきた戦後の歴史教育の歪みを告発し、再審を請求した格好の例と言えるであろう。
多年に亘り歴史のみならず金融、経済、国際政治、美術品など多くの分野で研究と洞察を進めてきた落合氏を支えたのは、『吉薗周蔵手記』という陸軍特務が極秘に記した手記であるが、それに加えて国策研究会の創立者矢次一夫が遺した『昭和動乱私史』の中の一行が本著執筆の動機になったことを明らかにされている。
また、自身の祖父井口米太郎と堺利彦との因縁からも、更に自身が代表理事を務める紀州文化振興会の事績などに鑑みても、落合氏自身が本書で述べる歴史そのものに関わる先天的運命にあったと思う。
冒頭に「科学的に証明し得た」との表現を用いたが、家系における遺伝的特性を重要視して軍人の多い大杉栄の親族を明らかにした本書は、「憲兵に殺されたはずの大杉栄の従兄が事件直前まで憲兵司令官であった」という、もはや言い逃れのできない事実を敗戦史観に突き付けたのである。
本著はいわゆる広義の『社会主義思想』の萌芽の淵源を辿るとフラ
ンス革命に至り、初動は1700年代初頭にまで遡ると言うが、1848年のマルクスによる『共産党宣言』により、明治維新のあとの日本に社会主義思想が導入されることを想定していた國體勢力が率先して社会運動のリーダーシップを執ることにより、堺利彦や大杉栄が活躍することとなったのも理解できる。
その系譜から生まれたのが国策研究会の創立者矢次一夫で、大杉栄に好感を抱いたのは彼の本質を知っていたからである。高松宮殿下と石原莞爾が矢次と同じ大杉観を抱いたのは、地位と情報力からして当然であるが、それを明らかにした史家は落合氏以前にはいない。
敗戦後の日本占領軍は、長年の植民地経営のノウハウを生かし、日本人に好感を抱かせながら見事なまでに日本人を骨抜きにしたが、彼らの説く民主主義は百年近い年数の経過により制度疲労が進み、その隠しているところが露わになってきたため、今や政治に対する民意は萎え、議員の質の低下は誰の目にも明らかになった。

それはまた、ウクライナ有事を背後で煽る「トロツキスト」の足掻きとなって現れており、本著を読むことで現在の国際政治の本当の姿が瞭然となってくる。
末筆ではあるが、本著がこのタイミングで落合氏から発表されたことはすべての読者にとって未来を見据えるために大変有益であり、また一身を捧げて未来を養った英傑の鎮魂につながるものと確信する。

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